Aya Kawazoe

ピアニスト川添文のホームページ

曖昧さを許容できる能力

音楽や美術の授業が、どんどん学校から削られているらしい。
私は音楽を生業にしているから、特別このことに危機感を覚えるだけであって、他の人はそうでもないのかな?と思い、他分野である夫(医師兼プログラマー※芸術とは無関係)に聞いてみた。

 

すると、面白いことを話してくれた。

 

芸術に幼い頃から触れている
ということは、
漠然とした曖昧さを抱えたまま許容できる能力がつくのではないか?と。
そしてそれは、特に大人になってから必要な能力なのではないか?と。

 

正解・不正解。白か黒か。そうやって早く答えを見つけて落としどころをつけたい。誰もがそう思うところを、
分からないものを分からないまま抱えられるということはとても大切で、皆ができることはない。

 

夫はとにかく努力の人で、そして勉強が好きで好きでたまらない。

そんな人だから、「私と勉強…どっちが好きなのヨッ!!」なんて史上最強に面倒な女の常套句を言った過去には本気で悩まれたことさえあるのですが(いや絶対勉強だよね)。


毎日毎日パソコンでプログラムコードを書いたり、海外の論文を探しても答えが載っていないような数式を解いたりしていると、分からないものを分からないまま抱える、ということが何より大切だそうで。分からない数式なんて、1週間くらいずーーーっと悩んで、分からないまま抱えて、同時進行で他のことをやっている。でもずっと頭の片隅にはある。そうしているとふとした瞬間に答えが見つかったりするらしい。


夫は粘り強さが異常で、それはもう血の滲むような努力を這い上がってきた人だから、だと思うのですがとにかく諦めない。夫は研修医時代、今の科を目指したきっかけを与えてくださった素晴らしい指導医の先生に 問題を出されたそうです。
それが2年間分からず、研修医終わってからもずっと考えてやっと答えが出たと。
そういう粘り強さって、幼い頃からピアノや芸術方面を極めようとしていたら、自分のように勉強で血の滲むような努力をしていなくても 自然につくものだと思う、と夫は言うのです。

 

たしかに 音楽というのは本当に難しくて、正解はないし、とっても微妙なラインでニュアンスを変えるだけで音楽的に聴こえたりする。曲を通して弾けるなんて大前提で、そこからが勝負。それをどこまで突き詰められるか。一音一音をどこまで突き詰められるかが何よりの課題で、それって「はい、この問題正解、これ不正解」より実は難しい世界なのです。そういう世界に幼い頃から対峙してたら、たしかに正解不正解の世界がよっぽど簡単に思えるのかな?と。

 

いま、そんな粘り強いことをできる環境ってないんじゃないかな?と思うんです。スマホって、本当に付き合い方が難しい"嗜好品"で。

私が高校3年生の時から「iPhone」ってものが出始めて、その頃はガジェット系が大好きだった私はいち早くiPhoneをおねだりし(高校生の分際で!!)高いものは絶対買ってくれなかった親に何故か買ってもらえた(何でだろう?)思い出がありますが、その頃のiPhoneなんて本当、何から何まで意味不明だったわけです(買ってもらったのに?!)。使い方も分からないし、まわりで使ってる人居ないし、全然面白くない。

それが結果的には良かったと思いますが、今は誘惑がたくさんあるから、集中力を持続させるっていうこと自体がかなり大変な世の中になってしまったなと思います。

インスタグラム見て、twitter見て、LINE見て、それをそれぞれ3分くらいですよね。ずっとどれか1つを見ることなんてない。

2時間の映画さえ観ることができない、15分間のYouTubeは楽しんで観る。読書はできない、漫画を読む。

もちろん例外の子達だって沢っっ山居ると思うんですけど、そんな子達も増えていると聞きます。

 

そんな中で、私の生徒さん達を見ていると、コンクールを目指している子達は大体1時間のレッスンですが、皆物凄い集中力で1時間があっという間。そしてその毎週1時間のレッスンのために、平日毎日1日4時間練習してる子、とかがゴロゴロ居るわけですよ。やっぱり物凄い集中力で。


音楽って凄く曖昧で、先生が良いって言うのが何なのかわからない、っていう時期があって(小学生〜中学生とか)。そういう時期はとにかく試行錯誤色々やっていくしかないんです。○×じゃないから。ぱっと見で分からないし、すごく自信を持ってレッスンに持っていって、「全然だめ。1週間何してたの?」と言われるときもあれば、こんな感じで良いのかしら。。。と恐る恐る持っていって「良くなったじゃない!」と言われるときもある。

本当に私も昔はそれがわからなくて、手当たり次第練習していた。だから、今の生徒さん達の気持ちがよーく分かるのだが、それが何よりも私の力を付けたと思っているから、方向だけ指し示したら後はあえて手取り足取りやりたくない。(恩師の指導方針に感謝。そして私自身がやっぱり恩師の指導方針から影響を受けているってことだなぁ…幸せだなぁ…🥺)

自分で粘り強く考えてみる。それが何よりも自分の力をつける。

他人に全てを委ねない自分の思考力と、その思考を実践できる技術力を備えて欲しい。最終的には、私が居なくても自分で仕上げられる人になって欲しい。(まぁ、私も自力の仕上げだと今でもなかなか不安ですが😅)

 

そんな風に思ってます。

 

本題に戻ると😂、やっぱり音楽とか美術の授業をなくしてしまうと、芸術を「なんか良いな」と思える下地さえなくしてしまう、すごく可能性を狭めてしまう行為だなと思う。

何がどう良い、なんて言語化できなくて良い、なんか良いなと思える素質さえあれば良いと思いますが、それさえも奪ってしまう。


更に、芸術という曖昧な分野を極めていると、実は何にも変え難いオマケが付いてきたりするよ、ってお話でした。

その有り難さを知るのは、もしかしたら大人になったときかもしれないけどね。